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![]() 無題 1996 |
![]() 無題 1996 |
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刻意の絵 梶川芳友 |
画家が単なる職業になって久しい。職業というものの常で、世間に受けることばかりが大事になってくる。世間の好みを斟酌し、それにおもねり、迎合する。いつのまにかそういう画家、そういう絵ばかりになってしまったような気がする。世間からどんなに持て囃されても、私はそのような作品には何の価値も見出せないし、興味ももてない。
蟻田哲の作品に出会ったとき、私は、砂漠の中に突然姿を現したピラミッドや、広大な古代遺跡の寺院というようなものを思い浮かべていた。それは古代の人々のが造り出した人間の本質的な造形、原初の形とでもいうべき創造の力強さを、彼の作品に重ね合わせて感じていたのかもしれない。 蟻田哲は、1947年大阪で生まれ、66年からアメリカで創作活動を続けていたが、日本で初めて彼の作品が紹介されたのは、つい数年前のことである。日本の美術界の状況などとは全く無縁に、アメリカで、こつこつと自分の信ずるところを作品に創りあげていたのである。 私は初めて蟻田哲に出会ったとき、人間としてこのように質の良い人がいたのか、と一瞬にして魅了されてしまった。ただ人柄が良いというようなことではない。俗っぽさ、卑しさなどには全く毒されようもない、人間の素の豊かさ、質の高さを感じた。その高い人間性に拠って、蟻田のあの重厚で堅牢な作品が生まれるのであろう。円環や円筒、球体などをモチーフに選んできたのも、彼の真っ直ぐに堂々と対象に向かい合う姿勢と無関係ではないだろう。 その作品を見るとき私はいつも感じるのだが、蟻田の作品は本来あるべき「形」に向かって画家が、黙々と削り出していったもののように思える。画家の営みというより彫刻家のそれに近い感じを受けるのである。私は蟻田哲の作品を「刻意の絵」と呼びたい。自らの存在を、そして目指すべき造形を、人間の歴史ともいうべき大きな時間の中で静かに刻み出し、独自の絵画観を確立していく。創造というものの、最良のものが、ここにはある。 1993年春、何必館を訪れ、この空間に作品を並べてみたいと語った彼が、3年の歳月をかけて37点の作品を創った。その間、彼はニューヨークのアトリエに籠もりきりで創作に集中していた。その蟻田哲の濃密な時間を、私はうらやましく、そして重く受け止めている。 |
| 年譜 |
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