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麻田鷹司のアトリエに残されたスケッチブックは御室の桜の素描で終っている。
淡い灰色でおおわれた寂しげな京都仁和寺の桜である。右隅に1987年4月17日4時15分と時刻まで記されていた。
私はその素描を初めて見たとき、胸が痛くなり無性に悲しくなった。桜の根元の土は、こんもりとまるで土饅頭のようで、麻田鷹司の墓のように見えた。桜はこの世のものとは思われぬ陰影を帯び、花のまわりの空気を凍らせている。
素描は作家自身が、何を求め、何を発見し発展させてゆこうとしているのかの源泉を知ることができる重要なものである。
麻田鷹司は、いつも今描いている絵が絶筆となることを覚悟していなければならないと考え、画に向い合っていたように思われる。
まるで死を予感させるようなこの桜の素描は、麻田鷹司の好きであった「今日臨終」のことばのように思われてならない。
麻田鷹司の作品に常照皇寺御車返の桜を描いた二曲屏風がある。樹齢四百年をこえる京都を代表する名桜である。
1986年、麻田鷹司と共に、丹波山国にある常照皇寺に旅した時、「私が死んだら御車返の屏風を枕元に置いてほしい」という話になった。それから一年後、突然の吐血で入院、手術を繰り返し、7月1日帰らぬ人となった。
病院の光子夫人からの連絡で私は、御車返の屏風を持って急遽、東京へ向かった。
枕頭に置かれた麻田鷹司の「名木御車返」の桜は、一枚の花びらも散らさず、まるで一枚一枚に神や仏が宿っているように光り輝いていた。
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年譜
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| 1928年 |
京都市に生まれる。本名、昂。 |
| 1945年 |
京都市立美術工芸学校絵画科、卒業。 |
| 1949年 |
京都市立美術専門学校日本画科、卒業。 |
| 1963年 |
渡欧。エジプト、ギリシャ他ヨーロッパ諸国を旅行。 |
| 1967年 |
法隆寺金堂壁画再現模写に従事する。 |
| 1970年 |
武蔵野美術大学教授となる。 |
| 1972年 |
渡欧、パリ滞在。イタリアを旅行。 |
| 1974年 |
新制作協会を脱退、創画会を結成。 |
| 1978年 |
文芸誌「新潮」の表紙画を始める(二年間)。紺綬褒章を受ける。 |
| 1986年 |
「洛中洛外 麻田鷹司展」を何必館・京都現代美術館にて開催。 |
| 1987年 |
7月1日、ウイルス性肝炎のため逝去、58歳。 |
| 1988年 |
「追悼 麻田鷹司 素描展」を何必館・京都現代美術館にて開催。 |
| 1998年 |
「麻田鷹司 回顧展」を何必館・京都現代美術館にて開催。 |
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