
| 会期 | 2009年 9月15日(火) 〜 11月29日(日) |
| 開館時間 | 10:00〜18:00 (入館は17:30まで)
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| 入館料 | 一般1,000円 学生800円 |
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つばき鉢 1938年 |
| 本年は北大路魯山人没後50年にあたります。 京都上賀茂の社家に生まれ、書家、篆刻家として出発した魯山人は、美食の追求からその実践の場として「星岡茶寮」を創設し、当時第一級の政財界人、文化人が集うサロンとして、その名は全国に広まりました。さらに、鎌倉の「星岡窯」で、魯山人自身が使うために生み出された器の美は、国内はもとより、海外でも高く評価され、昭和29年、ロックフェラー三世の招聘によりニューヨーク近代美術館で「魯山人展」が開催されたのをはじめ、没後半世紀を経た今なお、人々を魅了し続けています。 本展覧会は、魯山人の出発点である京都の地で、当館コレクションの中から厳選した代表作約120点を、「陶」「書」「刻」「茶」「花」「食」「季」の七つのテーマに分け展観いたします。さらに、「使う」ことで一層の輝きを放つ魯山人作品の新たな美を引き出す展示演出によって、これまでにない画期的な展覧会になるでしょう。
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芸術は計画とか作為を持たないもの、刻々に生まれ出てくるものである。 言葉を換えて言うなら、当意即妙の連続である。 言い古された言葉だが、「浮気はその日の出来ごころ」というのがある。 芸術も、言わばその日の出来ごころである。 やって行くうちに生まれ出てくるものである。
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織部蟹絵平鉢 1959年 |
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仰いでは宇宙に字を書け。 俯しては砂上に字を習え。 書には必ず「美」がなければならぬ。 人間の行為、人間の作品はその人を反映せずにはおかない。 よい字というものは、よい人格が生む以外、ほかに生んでくれる母体はない。 |
織部蟹絵平鉢 1959年 |
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美を探究する、 美を愛する、美を身につける。 美と接吻を続けるのでなければ、芸術家としての生命はない。 感興の触れる儘に、順序もなく統一もなく、 極めて散漫に制作している。 |
赤壁賦 刻字屏風 1914年 |
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人生になくてはかなわぬ美的趣味のもっとも高き、あるいはその諸般に渉りたるを求むるとすれば、それらを一堂に教育指導してくれる学校は一体どこにある。 独りこの「茶道」校があるのみではなかろうか。 山を見て山に見とれ、花を見て花に見とれる人、でなけりゃ茶人とはいえない。 |
黒織部沓 1952年 |
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花は足で生けるとは、いつの昔、誰がいったか、実にうまいこといったものである。 自然美がわかって後、止むに止まれなくなって、切花を部屋に生けるのが、真の生花である。 花半開という。 けれども、真に賞玩者を喜ばせる花の美しさの頂上は、二分咲き、三分咲きの頃だ。 |
備前旅枕花入 1958年 |
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料理の着物を、料理の風物を、美しくあれと祈る。 美人に良い衣装を着せてみたい心と、変わりはない。 生かすとは殺さないことである。生かされているか殺されているかを見分ける力が料理人の力であらねばならぬ。 ものを食べて味が分かると言うことも、絵を鑑賞してその美を礼讃することも、根本は同じことである。 |
木の葉平向 1953年 |
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料理の着物を、料理の風物を、美しくあれと祈る。 美人に良い衣装を着せてみたい心と、変わりはない。 生かすとは殺さないことである。生かされているか殺されているかを見分ける力が料理人の力であらねばならぬ。 ものを食べて味が分かると言うことも、絵を鑑賞してその美を礼讃することも、根本は同じことである。 |
雲錦鉢 1938年 |
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生活の中の美 北大路魯山人 A4版変形(29.0×22.5cm) |
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