秋田おばこ 昭和28年 (1953)









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 写真の本道

 写真には、その本質であるレンズの眼や瞬間的にものを写し出すシャッターなどがあって、そういう機能を駆使して、眼と違ったものを印画紙上に焼き付ける特質があるのである。それらを駆使して写真家が見た美しさなり、心に感じたことをカメラの機能によって新しく一枚の印画紙に定着せしめることこそが、写真の本道である。




四谷見附 昭和20年(1945)





東京裁判 昭和23年(1948)





東京八重洲口 昭和29年(1954)






 


 人間のふれあい

  とにかく人間の生活をとりあげたものは、どんな写真でも報道だというわけですね。広い意味の報道だから、リアリスティックなものは、すべて報道というふうになるんです。
 ぼくは、いわゆる芸術写真やサロンピクチュアはきらいなんで、なんとか人間のふれあいを撮りたいということで、そんならやっぱりルポルタージュだ、というふうに考えたわけです。




紙芝居 月島 昭和29年(1954)





川開き 昭和28年(1953)





本郷森川町 昭和28年(1953)














何必館 3階展示室






 


 自分の仕事

 仕事上の問題を体で解決したつもりだが、横道へそれて、写真メカニズムの持つリアリティを駆使して人間生活の社会的現実をえぐり出すきびしさにまで自分自身を持って行っていない。
 何か大きな反省がなければ、ずるずると自分を甘やかしてしまう。いくらそれを心にきざんでも、写真が変わってこなければ何にもならない。そういうものを思いきって変えるのは、自分の仕事を全部はき出して世に問うことが一番正しいと考えている。





那覇の芸者 昭和10年(1935)





長崎 大波止 昭和28年(1953)





東日暮里 昭和33年(1958)






 


 手の表情

 手は人間の一部として、感情を伝え、意思を表現する重要な手だてなのだ。手の動きの中からでも、一瞬にその人の性格を美しくも現実的に表現できる段階に来ている。
 女の手は単独でも空間処理をうまくすると、あやしさ、なまめかしさ、年齢や職業を表現することができる。こうして、顔や身体にともなった手の動きが的確に表現されたら、人間像が生きてくることは間違いないのである。





高峰秀子 昭和31年(1956)





横山大観 昭和13年(1938)





永井荷風 昭和29年(1954)






 


 現実の縮図

 たまたま昭和27年、秋田で写真の審査をたのまれて、20年振りに農村を見た。農村の現実が、今私たちの生きている現実の縮図として写真的に表現しやすい面を沢山持っているように感じられたので、若い世代と旧い世代との対象を農村の日常生活から写し出してみようと、四季を通じて撮影に行った。冬の撮影ではできるだけ吹雪の中を写しまわった。




大曲 昭和28年(1953)





大曲市内小友 昭和33年(1958)





大曲 雄物川 昭和28年(1953)





秋田市追分 板堀 昭和28年(1953)




 






自宅の窓から 昭和47年(1972)





 








 











 



● 木村伊兵衛 写真集 3,000円



 
● ポストカード <A>
8枚組 1,000円
 
● ポストカード <B>
8枚組 1,000円

 

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