特別展 パウル・クレー





舵手 1940











何で走っているのだろう? 1932





パウル・クレーの墓碑

梶川芳友


私はずっと以前からパウル・クレーの墓碑銘に興味を持ち、いつの日かクレーの墓地を訪れたいとひそかな願いを持っていた。

数年前、スイス、ベルン郊外にあるショースハルデ墓地に埋葬されているパウル・クレーの墓を訪れた。クレーの墓碑は墓地の正面をくぐったマロニエの並木道の左側にあった。たて形のブロンズ板に日記の一節である墓碑名が刻まれ、地上に低く据えられた簡素なものであったが、私にはパウル・クレーが静かに語りかけてくる一枚の絵のように見えた。

偶然にもその日6月29日はパウル・クレーの命日にあたり、フェリックス・クレー氏をはじめクレー家の人達にお会いすることができ、その日私はクレー家に招かれた。フライブルク通りの静かな住宅街の中にあるフェリックス・クレー家の各部屋には数多くのクレーの絵が所せましと無造作に掛けられている。ほとんどが画集で何度も見ている作品ばかりであった。奥の一室にはクレーのあらゆる資料が整理され、ぎっしりと積まれている。その部屋に入った瞬間、私は何かに見つめられているような不思議な気配を感じた。
その日の夜パウル・クレーの孫である画家のアリューシャ・クレーの自宅にも招かれ、夜遅くまでパウル・クレーに対する熱い思いを語り合った。孫の眼からではなく一人の芸術家の眼で見たパウル・クレー論は大変印象的であった。話題が尽きず私がクレー家を後にしたのは真夜中の二時を回っていた。

心地良い緊張感のなかで、理論家でありながらあくまで詩人であるパウル・クレーのやさしさときびしさを体全体に感じ身の引き締まる思いのする一日であった。
はじめての出会いがショースハルデ墓地であり、パウル・クレーの命日であったことに私は何か眼にみえない細い糸のようなものを感じた。
私のクレー巡礼はショースハルデの墓地から始まった。





年譜


1879 12月18日、ベルン近郊のミュンヘンブーフセーに生まれる。
1898-1901 ミュンヘンのH.クニルのもとで絵を学ぶ。
1900 ミュンヘン美術学校に入学し、フランツ・フォン・シュトックの教室に入る。
1910 スイス各地で初めての個展を開く。
1916-18 軍務。守備隊と飛行機輸送勤務。
1920 ワイマールのバウハウスから招聘される。
1924 カンディンスキー、ファイニンガー、セヴレンスキーとともに、「青の4人」を結成。
アメリカでの最初の個展を開く。
1925 バウハウスがデッサウへ移転する。
1931 デュッセルドルフ国立美術学校の教授となる。
1933 ナチス政府により職を解かれる。
1937 ミュンヘンの頽廃芸術展にクレーの作品17点が展示される。
1938 ニューヨークでバウハウス展を開催。
1940 6月29日逝去。








関連グッズ

パウル・クレー作品集

8,000円


パウル・クレーポスター 2,000円



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