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![]() Carrefour Sevres-Babylone,Paris 1948 |
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同時代の証人 梶川芳友 |
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何必館におけるウィリー・ロニスのコレクションと、展覧会開催は、今は亡きロベール・ドアノーとの出会いからはじまる。 1985年秋、私はドアノーの写真を覗き込み、ドアノーの虜となってしまった。彼の写真展開催のため、何度も対話を重ねるなかで「私の友人にウィリー・ロニスという写真家がいる。自分だけ展覧会やコレクションをしてもらうなんていい思いをすると、友達をなくすからね」と、彼独特のユーモアを添えて、一組のポートフォリオを進呈してくれた。 何気ない言葉で託された深い思いが、15年を経てようやく、私の中に伝わってきている。それはロベール・ドアノーという芸術家の遺言であったように思われるのである。 1997年1月、私はパリ20区にあるロニスのアトリエを訪ねた。背筋をピンと伸ばしたロニスは、整頓されたアトリエで、写真を見せながら、様々なエピソードを語ってくれた。ロニスの話は知性に溢れ、温かい思いやりに満ちていた。 私は、人間は「自由」を実力にしてこそ生きてゆける、と存知している人に出会ったように思う。ロニスは自分に厳しく、人間らしい正義を堅持していた。90歳になってなお、矍鑠として尊厳に満ちていた。真摯な生き方とは、彼のような生き方を言うのではあるまいか。 ともすると芸術作品は、神秘性や非日常的な美しさ、衝撃だけを強調し、時流や風潮に乗って、感覚の表層をかすめるだけのものになりうる。しかしウィリー・ロニスの作品には、労働、反抗、お世辞、毅然とした態度、謝罪、落胆、そして死といった、我々と同じ立場で責任を担い、生きる姿の中から確かな芸術性が掴み出されている。 彼の作品には、パリ市民であるロニスの、最も身体化された「パリの自由」が写りこんでいる。そして真の人間性によって静かに流れ、長い時間を経てに沁み出すように感じられてくる何かがある。私たちは、そういう芸術作品に対してこそ、もっと繊細になるべきではないだろうか。 ロベール・ドアノーがウィリー・ロニスの出会いを遺言してくれたのは、単に友達を思う気持ちからではなく「友」として、同時代に生きている時空を、正しく実践しようという哲学の表現だったのである。 |
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