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![]() 黒織部沓 1952年 | |
![]() 備前土花入 1957年 |
![]() 銀彩四方平鉢 1957年 |
![]() 備前旅枕花入 1952年 | |
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眼の技 魯山人 梶川芳友 |
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魯山人は、眼の人であった。
陶芸に限らず、書、篆刻、漆芸、絵画など、いずれの分野にも第一級の創作家であった魯山人が、手の人であることはいうまでもないが、私は、手よりも眼の人であったように思われる。人間の持っている美に対する眼。その限界に挑戦することが、魯山人の創造の最大のモチーフだったのである。その眼を曖昧にする人間を、魯山人は許せなかった。民芸運動批判も、そこに由来するのであろう。それは孤立無援の闘いであり、魯山人は敗北者になっているが、私には魯山人の主張は正しかったと思われるのである。 重要なことは、魯山人の眼が、自分に向かってもっとも厳しかったことである。他者の眼は騙せたが、自分で自分の眼だけは騙せないということを知っていたのである。傍若無人の振る舞いや言動は、自分に嘘をつけなかった魯山人の哀しみを表現しているのであろう。眼の人とは、美の使徒と言い換えることができはしないだろうか。虚飾をとり除き、世俗の権威を否定して、魯山人は美しきものに敬虔な祈りをささげていたのである。 「この世の中を少しずつでも美しくしていきたい。私の仕事は、そのささやかな表れである」 昭和34年12月21日「京都上賀茂別雷神社社家北大路」と記し、魯山人は76歳の生涯を閉じた。 生活の中における美を追求した天才の思想と表現は、われわれに、今、何を問うているのだろうか。ともすれば抽象的に思われがちな美というものを、具体化させ、生活それ自体を美とした芸術家・魯山人の数奇の一生から、われわれは何を学ぶべきであろうか。 この展覧会は、30数年間、魯山人の作品を生活の中で使ってきた者の暮しのレポートの一端にすぎない。魯山人とともに、生活の風景を共有し、それを創作できる歓びの断片にすぎない。しかし、魯山人には安易に流れるものに対しての仮借なき批判の毒がある。それが魯山人と向きあって、私が日々、問い詰められることである。何年も繰り返し繰り返し使っていながら、いつも新しい発見があるのである。魯山人は「雅美生活」という4文字を通して、私に生活観の構築を迫ってくる。わずか一枚の織部木の葉皿においてさえ、生活様式を喪失したわれわれに、激しい警鐘の鐘を響かせてくるのである。 |
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年譜 |
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