山口薫作品室



作品室



山口薫(1907〜1968)は、作品がたたえる豊かな詩情から「詩魂の画家」と評された洋画家である。
秀でた色彩感覚と造形的感性によって、独自の画業を展開した。
『おぼろ月に輪舞する子供達』は、山口薫の思想を見事に表した絶筆の作品である。死を予感し、来世であると思われるおぼろ月に帰ってゆく山口薫の辞世の画でもある。
おぼろ月に輪舞する子供達

おぼろ月に輪舞する子供達 1968年


花の像

花の像 1937年
娘二人像

娘二人像 1956年
ある時ある日白い雨

ある時ある日白い雨 1961年

ある春の唄

ある春の唄 1966年



山口薫の絶筆

梶川芳友


昭和43年5月、上野の東京都美術館で第8回現代日本美術展が開かれた。私が山口薫の『おぼろ月に輪舞する子供達』と題された作品と出会ったのも、その会場であった。
その絵の前に立った瞬間、血の気がスーッと引き、背筋が冷たくなるのを感じ、私のからだは凍りついた。画家が絶対に描いてはならない絵というものがあるように思われた。現世と来世を写したかのような生死を超えた永遠の世界、その透明感ある画面が私にはまるで、自ら描いた「来迎図」のように見え、涙が流れ、直観的に山口さんの死を感じた。
それからの私は、新聞の片隅を毎日注意深く見ていたような気がする。そして5日後の5月19日、恐れていた山口さんの訃報を知った。

山口薫は紙の切れ端や展覧会の案内状の余白などに、多くの短歌とも短詩ともつかない言葉の断章を書き遺している。
残しておきたいものがある
私の手垢である
自分のために
山桜 只花は咲いていたぞ
水が流れるように
まるで独り言のような心情の吐露が、数えきれないほど書き残されている。言葉だけではない。イメージの断片をマッチ箱の裏底にまで、デッサンしている。そうしたメモや絵の構想が、アトリエの「記憶のために」と書かれた箱に放り込んであった。

山口さんが亡くなって10年後のある日、私に一番衝撃を与えた『おぼろ月に輪舞する子供達』の作品と偶然巡り会い、念願であった自分のコレクションにこの作品を加えることができた。そして私の美術館のなかに、寡黙で、質素で、決して愛想をふりまかなかった山口薫の作品室を造った。
私は、この作品室のなかで山口薫の豊かさ、山口薫のあたたかさ、そして山口薫の詩魂に触れることができ、それだけ多くの目に見えないものを現在も、もらい続けているのかもしれない。




年譜


1907 8月13日、群馬県群馬郡箕輪町に生まれる。
1924 川端画学校に学ぶ。
1925 東京美術学校西洋画科に入学。
1926 第7回帝展に初入選。
1930 東京美術学校西洋画科を卒業。第17回二科会展に入選。渡欧。
1933 パリより第8回国画会展出品、国画会会友に推薦。この年、帰国。
1934 国画会を脱退し、長谷川三郎、村井正誠、矢橋六郎、シャルル・ユーグらと新時代洋画展を結成。
1937 新時代洋画展の同人が中心となり、自由美術家協会を結成、第1回展に「花の像」などを出品。
1950 矢橋らとともに自由美術家協会を脱退、モダンアート協会を結成。
1951 武蔵野美術大学講師となる。
1953 東京芸術大学(専任)講師となる。第2回サンパウロ・ビエンナーレ展出品。
1959 第10回毎日新聞社賞受賞。神奈川県立近代美術館で「村井正誠・山口薫展」開催。
1964 東京芸術大学教授となる。
1967 群馬県美術館ファンデイション・ギャラリーで山口薫展 学生時代より自由美術展1937」開催。
1968 群馬県美術館ファンデイション・ギャラリーで「山口薫展 自由美術時代1938年から1967年まで」開催。
第8回現代日本美術展に「おぼろ月に輪舞する子供達」出品。
5月19日、胃ガンのため逝去。








関連グッズ

山口薫素描集 記憶のために

5,000円


山口薫ポストカード(8枚組) 1,000円
山口薫素描ポストカード(8枚組) 1,000円
山口薫ポスター 1,000円



→ミュージアムグッズ一覧はこちら



このページのトップへインデックスへ